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田舎娘から世界的なヘアデザイナーに変身したセシー朴さん
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「諦めずに挑み続けば、夢は叶います」 約20年前、群山(クンサン)の小さな美容院を掃除していた田舎娘が世界的なヘア・デザイナーになって韓国を訪れた。このサクセスストーリの主人公はヘア・デザインの本場、英国で活動しているセシー朴(韓国名:朴スクキョン/34)さん。
朴さんは、ロンドンで自分の名前を取った「セシー・ヘア」を経営しており、英国キングスターンカレッジの教授も務めている。この間までは英国の上流層が利用することで知られているロンドンのエリザベスアーデン・ヘアサロンの「首席ヘア・デザイナー」として活躍していた。今や、世界のヘア・デザイン業界で名の知られた有名人だが、朴さんの少女時代は厳しいものだった。
7兄弟の末っ子に生まれた朴さんは、小学校6年の時に父を、中学1年の時に母になくしてから、生計を立てるために美容学院を通ったという。
「美容学校を終えた後、群山のある美容院で働くようになりました。初めは、お客さんの髪を洗うことと、美容院の掃除を任されました。黙々と働く私のことを見守っていた院長さんがある日、『あなたは、より大きな世界に出るべきだ』としてソウル行きを薦めました」。
15歳の少女は、市外バスのチケットと1本のギター、そして2万7000ウォンだけを手にして上京し、当時ソウルで有名だった明(ミョン)洞の「朴ジュン美場」を訪れた。 朴さんのソウル生活は、群山でのそれとあまり変わらなかった。助手として働きながら掃除をし、お客さんの髪を洗った。しかし、朴さんが時間を無駄に使うことはなかったという。
夜遅くまで美容院に一人残り、マネキンの髪を切ったり、朝早くヤクルトを届けにきた配達員のおばさんたちを相手にパーマーの練習をした。こうした努力のかいあって、朴さんの美容技術は日進月歩した。 自信を得た朴さんは、当時ソウルの有名美容院を転々しながら、高級技術を習熟し、ヘアデザイナーとして名を上げた。朴さんは91年、周りの懸念を説き伏せて世界最高の美容技術を習うため、ヘアデザインの本場、英国へと渡った。
「韓国で初めて就職した時のように、とにかく、ロンドンで有名なヘアサロンを訪れてはそれまで積み上げたキャリアを話した後、私を雇用してくれとねだりました。初めは、コミュニケーションが取れないなど、難点もありましたが、次第にお客さんが増え、4年後に私の名前を掲げた美容院のオープンにこぎつけました」
朴さんは最近、美容技術をインターネットでを通じて教育するサイバー美容大学「IBC(www.rotehaus.com)」の教授としても働いている。ここで朴さんは、得意とする「ストレートボブカット」の技術を教育する予定だ。
家庭環境が悪いからといって挫折してはならないという朴さんは、「努力すればチャンスは必ず訪れる」とし、「これから、世界の舞台で活躍する韓国人のヘア・デザイナーが多く輩出されることを期待する」と述べた。
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(2002・10・29) |
東アジア15億人市場のゲートウェイ 韓国は日本の有力な販売先 |
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